2014年5月2日金曜日

財政再建という政策目標

これも財政再建ムードを浸透させる一つのきっかけになって、八三年から八七年にかけて一般歳出を前年同額以下にするなど徹底した歳出の節減合理化が図られた。それは財政体質改善のためやむをえぬ過程ではあったし、当時の内閣(鈴木・中曽根)の最大の政治課題でもあった。ただ、たしかに、このような要請が財政政策と金融政策のポリシーミックスを決定していく上で一つの制約になっていた面があったことも否定できないだろう。

こうした財政再建ムードの中ではあったが、円高不況の深刻化に伴い、内需を中心とした景気の着実な拡大、対外不均衡の是正といった要請が強まった。そのため、八六年九月に総合経済対策(総事業規模約三兆六〇〇〇億円)、八七年五月に緊急経済対策(同約六兆円)が打ち出された。この政策については、発動のタイミングが遅れたとの批判がある一方、景気が回復してきた八七年五月に相当規模の経済対策が行われ、バブル発生の一因となったとの指摘もある。理論的には、おそらくもっと早めに思いきった財政上の景気対策を打ち出し、そしてもっと早めにそれを打ち切る決断をすべきだったのだろう。

金融政策についても述べたように、経済情勢の認識から経済政策の効果が発現するまでのタイムラグの存在は、経済政策を判断する上で難しい問題である。世論も、目に見える景気対策を催促する。これを制するのは、政治家にとって大変な難題となる。

そもそも財政再建という政策目標の取り扱い自体、極めて難しい。九六年以降の推移を見ても、政・財界、マスメディアを問わず財政再建は国民的コンセンサスとなり、歴代首相、蔵相から成る財政再建顧問会議まで開いて政治的意思決定をしたものの、不況が深刻化するとそのような経緯は忘れられがちである。今後景気が回復過程に入った後も、いつ健全化への政策転換を図るのか、それについて誰が責任を負うのかは、難しい問題として残るだろう。