2015年6月3日水曜日

社外活動やチャリティに不熱心

「相手に仕事でメリットを落とす」「それ言顧客に満足してもらう」「しかも原則的に」年以内にそれを実行する」。この三つの姿勢が外資系では徹底して求められるといっても過言ではない。CSR(企業の社会的責任)に真面目に取り組むようになり、それを怠ると罰せられる。日本企業のCSR(企業の社会的責任一コーポレートーソーシャルーレスポンシビリティ)レポートを読むと、そのほとんどが「環境に優しい自社製品の紹介」か「社員のボランティア活動」で占められている。CSRを「環境とボランティア」と割り切っているのはある意味で見事だが、本来の海外でのCSRにはもっと多様な活動が含まれている。例えば「職場を巡る人間関係の改善」や「社員の多様性の追求」といったテーマだが、日本企業ではそうしたテーマはCSRの枠外にあり、「取り組むのはよいことだが大真面目に議論するのは時問の無駄」といった雰囲気がある。

これは経営者の意識の問題だが、「良い製品を作って利益を仁げていればいい」という時代ではもはやない。社会と共生するとか、多くの多様な人材を登用し活躍の場を与える(外国人、女性、中高年などにも役員や部長への道をひらく)といったテーマが、外資系企業では単なるお題目ではなく、真剣に取り組んでいるのが日本企業との大きな違いだ。もちろん全ての外資系企業がこの点で優等生だというっもりはないが、日本企業の平均レベルよりも、在日外資系企業の平均点のほうが優れていることはほぼ間違いない。

利益至上主義とCSRが矛盾しない理由-外資系の「罪の文化」こうした利益追求以外の経営テーマがあることと、今まで述べてきた収益至上主義は矛盾しないのだろうか。そう思う読者の方もいるかもしれない。実は矛盾しない。なぜなら、日本が「恥の文化」と言われるように欧米には「罪の文化」という側面が確かにあるからなのだ。罪を意識する、すなわち自分をはるかに超えたところに審判者(神)がいるという潜在意識は、「悪いことをすればその分だけ良いことをして補わなければならない」という強迫観念を生む。利益、利益で社員にプレッシャーを掛けている外資系であるがゆえに、利益以外の「良いこと」も必死で推進しないと精神のバランスが取れないのである。

ロックフェラーやフォード、メロンといったアメリカの著名な財閥は、社会奉仕活動を昔から熱心に行なっている。「汚く」儲けた金を「綺麗に」使うという風習が社会に根付いているのである。これはヨーロッパやアジアでも同様だ。イギリス人、華人などはあこぎに儲ける人ほど、陰徳を施す傾向がある。従って、企業利益を追求するのと同じ程度の真剣さでCSRなどの多様な社会的テーマ年取り組むのである。外資系でこれを「くだらん、時問の無駄」と軽視したり、無悦していると、極端なときには「人問失格」という熔印まで押されてしまう。その結果、人間としてこの会社に置いてはおけないと、クビになることさえあるのだ。

解雇まで至らずとも、「社外活動やチャリティに不熱心」という評判が、微妙に昇進や昇格に影響をケえ、合併や買収などの修羅場では生死(つまり残れるか、残れないか)を分けることがある。会社が外資系に変わったら、女性の積極登用や地城社会との対話などを馬鹿げたことだと思わず、会社の方針に従って真面目に取り糾まないと、少なくともその振りぐらいはしないと、あなた自身が軽蔑され、上から対話を拒杏されるようになるかもしれない。喫煙や飽食が戒められ、健康管理ができない社員にはペナルティが与えられる。遅ればせながら喫煙天国の口本でもオフィス内分煙が進展し、会社によってはオフィス内完全禁煙を実行するようになってきた。しかし、まだ多くの日本企業では、オフィスのどこでタバコを吸おうが白山気ままの状態だ。