2013年12月25日水曜日

教師による学生の評価

アメリカの大学では、教授は学生の成績を評価するが、学生も教授の授業を評価する。大学の管理職(学長、学部長など)は教員の研究、教育上の業績に基づいて、教授の待遇を決定する権限をもっているが、管理職も一定期間のあと教授団によって評価されるし、教授は自己の待遇について交渉する権利をもつ。学長は大学の管理運営について強大な権限を委ねられてはいるか、その業績は理事会によって絶えず評価されており、理事会はいつでも学長を解雇する権限をもつ。

大学の学部、学科、研究所は一定期間ごとに必ず学内の評価委員会による審査を受け。その活動の生産性が疑われる場合にはおとりつぶしになることもある。基準協会は会員校に自己点検報告を要求し、五年か一〇年おきに実地検査にやってきて、その大学の質を評価するが、その基準協会もまた基準認定団体にふさわしいか否かを上位の連合体である全米高等教育基準認定協議会(COPA)や連邦政府によって審査される。

つまりアメリカの大学は、他のアメリカの組織体と同様に、評価をするものは必ず評価されるという関係にある。このチエックーアンドーバランスの仕掛けは、アメリカ社会の中に、網の目のようにはりめぐらされており、大学もむろんその例外ではないのである。

アメリカの学生は在学中絶えず評価にさらされている。授業に出席すれば、毎回五〇~二〇〇ページにわたる課題図書を予習してきたかどうかを試される。ひんぱんに宿題のレポートを書き、授業でのディスカッションに参加し、自分がよく準備をしてきたことを絶えず教師に示さなければならない。毎週のように小テストがあり、中間評価と最終評価がある。

例えばカリフォルニア大学バークレイ校では、学生が学士号を取得して卒業するためには、自分の履修した全科目について、平均C(A=4、B=3、C=2、D=1、F=O)以上の成績を取らなければならない。平均点がCに満たないと、警告がくる。次の学期に頑張って平均C以上に達しないと、退学か、転校である。州内高校生の成績が上位ニ・五パーセント以上という秀才たちしか入学の機会が与えられないバークレイ校でも、一年生の入学者のうち四〇パーセントはバークレイを卒業できないのである。

教師が学生を評価するという考えは今日あたりまえのこととみなされているが、一八六九年にハーバード大学の学長に就任したチャールズーエリオットは、学外者による試験制度の復活を主張した。彼は「教師が自分のクラスの学生を試験するかぎり、教師に対する有効な評価はなされない」と批判した。つまり教える者が一方的に学生を評価するのでは正当な学生の評価とならないし、また教える者の質を改善することにもならない、という考えである。

2013年10月29日火曜日

サウジアラビアの市民運動は大きくならない

王族それぞれの考え方に隔たりがあるのはなぜなのでしょうか。サウジアラビアは十八世紀にいまの首都リヤドの近くで部族を率いていたサウード家と、宗教的指導者だったワッハーブ家、一万の一族が団結したところから始まりました。このときにサウード家は政治を、ワッハーブ家は宗教をそれぞれ統轄するという合意がなされました。それから周辺の部族と戦い、和解しながら、二十世紀初頭にいまのサウジアラビア王国となりました。このときに後見人的な役割を果たしたのはイギリスでした。サウジアラビアという国そのものの歴史は意外と浅いのです。サウジアラビアは湾岸最大の面積を持つ国であり、イスラム教の一一人聖地であるメッカとマディーナが国土のなかにあります。そのため、宗教的指導者であるワッハーブ家の権威は強力なものです。サウジアラビアが親米でありながら宗教的に保守的なのは、ワッハーブの保守的な考え方を反映しているからです。

しかし、ワッハーブ家の人々も現代では豊かな石油資源を持つ大国の支配者です。サウジアラビア国内ではお酒を飲んではいけない、女性はクルマの運転をしてはいけないなどの戒律を守って暮らしていますが、実はヨーロッパではハメを外して遊んでいることがよく知られています。二〇一〇年には、ある王子が、イギリスで、酔っぱらったあげくにゲイのパートナーだったと思われる男性を殺してしまうという事件まで起こしています。国内では厳しい教えを国民に押しつける一方で、権力を持っている人たちは国外で自由を楽しんでいることが徐々に知られるようになりました。しかし、ワッハーブ家の権威はサウジアラビアの求心力の一つになっています。国としては厳しい戒律を国民に求めることで、国への帰属意識や忠誠心を高めようとしています。その結果、王族のなかでも考え方の振れ幅が大きくなってしまっているのです。

多くのサウジアラビア国民は経済的にうるおっている現在の暮らしに満足しています。政治には無関心で、宗教的な戒律に窮屈さは感じつつも、消費生活を謳歌する中産階級が主流を占めています。そして、彼らとは別に、先述した少数派のシーア派の人々が貧しい暮らしを強いられているという状態です。二〇一一年三月十一日、日本で東日本大震災が起きてからは、「アラブの春」の動きはあまり報道されなくなりました。もちろん、東日本大震災は世界的に大きなニュースですから優先されて当然ですが、同時に、世界の関心が失われたことで、「アラブの春」の盛り上がりも下火になってしまったということはあると思います。サウジアラビアでも、奇しくも三月十一日に「怒りの日」と名付け九大規模なデモが行われました。このときはフェイスブックを使い、一万人近くの人たちがそのデモに賛同しています。しかし、当局の弾圧もあってすぐに沈静化してしまいました。

サウジアラビアで政府に対して異議を唱えているのは、経済的な格差と宗教的な差別を強いられているシーア派の人々と、政府によるしめつけを嫌う中産階級のリベラルな人々です。しかし、潜在的に不満を持っている人たちはいても、それを声に出したり、行動として示したとたんに、弾圧の対象になってしまいます。サウジアラビアにも人権活動をしている人たちはいます。たとえば、サウジアラビアでは女性が車の運転をすることは禁じられています。しかし、二〇一一年、ユーチューブにサウジアラビアの女性が車を運転している映像がアップされ、大きな話題になりました。運転してた女性はサウジアラビアの警察に逮捕され、十日間拘留されました。しかし、その後も彼女はフェイスブックで予告し、運転をしています。二度目、三度目は罰金刑で済んでいます。少しずつサウジアラビア政府の態度も軟化してきているようです。いまも彼女のアラビア語のフェイスフッターページには二〇〇〇人以上の参加メンバーが登録されています。

私の友人にもサウジアラビアで育った女性がいます。父親はパレスチナ人ですが、裁判官をしていました。ほかにも父親がイラク人で外交官、母親がナースという友だちもいます。インテリ家庭に育った彼女たちもサウジアラビアでの生活には息苦しさを感じると言っていました。パレスチナ人の友人は結婚してから、サウジアラビアを出てアメリカに行きました。サウジアラビアのあまりにも保守的な空気に息苦しさを感じている人はたくさんいると思いますが、サウジアラビアが変わっていく可能性は低いと思います。世界中が産油国であるサウジアラビアの今のままの政治的な安定を求めていますし、国民の生活も一部の人たちをのぞけば経済的にも恵まれています。息苦しくなったらヨーロッパに1ヵ月くらいバカンスに出かけて羽を伸ばすということができる人たちが少なくない。結果的に、いまの体制を容認する人たちが多数派なのです。



2013年8月28日水曜日

観光客一〇〇〇万人構想に欠けている準備

九・一一テロが起きた直後、沖縄の観光客はものすごい勢いで落ちこんだ。「沖縄は米軍基地があるから危ない」という風評が一気に広がったのだ。ビジネスホテルを経営していた私の知人などは、「これだからナイチャーは信用ならん。いつも犠牲になるのは沖縄じゃないか」と怒りっぱなしだった。もっとも観光客が落ち込んだのもわずか半年ほどで、翌〇二年は前年より四三万人多い四八三万とV字回復を遂げる。そうなると現金なもので、ホテルが満室になるたびに、「やっぱり沖縄は不滅だわ」と、連日ほくほく顔に変わった。

理由は、海外でSARSやテロが横行し、「危険な海外より安全な国内」という流れができたからだ。考えてみれば、これも「海外は危険」という逆風評被害の結果だ。しかし、こうなると日本人は放っておいても洪水のように集まってくる。こうした流れを受け、〇六年一一月に当選した仲井佻弘多知事は「観光客一〇〇〇万人誘致」を選挙公約にかかげた。実際、知事就任時には五六四万人だったのが、翌年には過去最高の五八七万人と、六〇〇万人まであと一歩と迫っている。しかし、これがほんとうに沖縄のためになるのか、観光立県のあり方として正しいのかというと、首をかしげたくなってしまう。

「観光客一〇〇〇万人誘致」に対して、批判は当初からあった。ひとつは水問題である。一〇〇〇万人といえば、今の観光客のほぼ倍の人数が訪れる。まず考えられるのは、ほんとうに今の水瓶で水が足りるのだろうかということだ。沖縄県では、北部の塩屋湾の奥地に建設している大保ダムが完成すれば、観光客が一〇〇〇万人やってきても大丈夫と太鼓判を捺すが、果たしてそううまくいくだろうか。〇八年は珍しく沖縄に台風が上陸しなかった。観光客は喜んだようだが、沖縄にとって台風は、被害をもたらすと同時に、生命の源である水を運んでくれる大切な存在なのだ。ところが、温暖化現象の影響か、このところ台風のコースが沖縄を外れるケースが増えている。沖縄に台風がやってこなければ、水不足は途端に深刻になる。

水不足でよくニュースになるのが慶良間諸島である。私の知人に、渡嘉敷島で山村留学をはじめようという坂田竜二、明子夫妻がいる。〇八年の夏、彼らに会いに行ったとき、渡嘉敷島をざっと案内していただいたのだが、山裾を登っていく道路から見下ろす水瓶が底を見せていた。台風が来なかったせいである。夜間断水の給水制限がなされたと聞いたのはその翌日だった。那覇の町を見渡すと、古い家の屋上に給水タンクが据えられているのを目にするが、これは過去にしばしば水不足に悩まされたことが、今も骨身にしみているからだろう。何しろ、八一年から八二年にかけてほぼ一年近く給水制限が続いたほどで、私の記憶でも、九〇年代の初め頃までしょっちゅう断水していた記憶がある。

水が足りないならダムをつくればいいじゃないかと思われるかもしれないが、大量生産、大量消費、大量廃棄というワンウェイ社会から生まれたこの発想がいつまでも続くとは思えない。かつて北部のやんばるに次々とダムがつくられ、いまや沖縄はダム密度全国一である。貴重な自然を破壊するダムは、観光で生きる沖縄には諸刃の刃になる。それに、もうやんばるにはダムをつくる土地は残されていないのである。それよりも、昔はどの家庭も雨水を貯めて活用していたように、各家庭に雨水タンクを設置したり、あるいはビルやホテルなど巨大建造物の地下に貯水槽を設置して雨水を利用することも考えるべきだろう。東京が世界でも有数の雨水貯留都市になったのは、大口径の水道料金を一般家庭の四倍にしたため、雨水を雑用水として利用する方が安あがりと、一気に普及したからだ。

森に降った雨も、都市に降った雨も、同じ水なのである。観光客の増加は道路の渋滞にもつながる。沖縄では公共交通機関かきわめて少ない。バスもあるが、モノレールとの連結や他社路線への乗り換えがスムーズでないから、きわめて使い勝手が悪い。先にも述べたように、乗り換えが数回あると、とんでもない時間を食ってしまう。ということで、沖縄ではほぽ一人に一台の自家用車がある。現在、通勤や帰宅時間に那覇を通過しようとすると、かなり時間を食うことになる。最近もレンタカーを返そうと浦添市を夕方の五時に出たが、空港支店に着いたのが六時過ぎだった。混んでいなければ一五分ほどで行ける距離だ。一〇年前は渋滞するといっても朝と夕方だけで、それもそんなにひどくはなかったのに、現在の那覇は終日混んでいるのである。

2013年7月4日木曜日

最近ネット右翼の世界では

ここから先はさらに空想の世界ですが、奇跡の上塗りで「四人兄弟が当たり前になり、現状一一〇万人程度の出生者数が来年から団塊世代並みの二〇〇万人以上に増加した」としましょう。それなら生産年齢人口は減らないのでしょうか。残念ながら来年生まれる子供が一五歳を超えるのは一六年後、成人して就労して税金や年金を払い始めるのは二〇年以上も先のことです。それまでの間は、やっぱり生産年齢人口減少が続き、他方で高齢者は激増します。これにどう対処するのでしょうか。子供を増やすこと、少なくともこれ以上出生率が下がらないように努力すること自体は大事です。でもそれは団塊世代の加齢という目下の一大課題の解決にはまったくなりません。

関係ないことを持ち出すのは、問題から目を背ける人を増やすだけで、事態を放置して悪化させるだけなのです。それなのになぜ出生率ばかりが取り沙汰されるかといえば、物言わぬ若い女性に責任を転嫁できて、男性、特に声の大きい高齢男性は傍観者気分になれるからではないでしょうか。そういう男ばかりだからさらに結婚しない女性が増えてしまっているのかもしれませんよ。「外国人労働者受け入れ」は事態を解決しない。そこで出てくる日本経済の救世主が、「外国人労働者の受け入れ」です。ところがどっこい、これも、どんなにやっても生産年齢人口を実効的なレベルにまで増やす効果は見込めない策なのです。「するべき」「するべきでない」の話ではなく、「やってもやってもまったく数量的な効果が出ない」のです。

海外在住で日本に言及しているエコノミストや経済人はほぼ全員が、国内でも経済を語っている人のとても多くが、この点について基本的な事実認識を誤っています。「べき論」と「事実」を混同して、「やる気になれば成果は出る、問題はやる気がないことだ」と甘~い甘~い精神論に浸っている人が本当に多いですね。それ以上に困るのが、「いくら閉じこもろうとしても、結局日本は外国人労働者に門戸を開放せざるを得なくなり、事態は改善に向かうだろう」という臆測です。彼らは皆、絶対数を読まないSYの典型なのです。「外国人労働者に門戸を開放せざるを得なくなる」のは事実でしょうが、そうしようとも生産年齢人口減少はまったく止まりませんので、事態は改善に向かいません。

しつこくお断りしなければなりませんが、私は日本社会が外国人に対してもっとオープンになることには大賛成です。最近ネット右翼の世界では、日本に多年住んできちんと働いて家族を育ててきた不法入国者を強制送還することに賛成する動きがありますが、経済的に、あるいは社会の道理というようなもので考えても実におかしなことです。低賃金の仕事をまじめに勤め上げ日本生まれの子供も育てている外国人に在留権を与える方が、働けるのに働かない連中(派遣村にいたような実際にきつい労働をやっていた若者ではなくて、親のスネをかじってブラブラしているような人たち)を「お前は日本人だから」と優遇するよりよほどマトモな政策ではないでしょうか。

「日本人」という血統さえあればどんなに不まじめでも、納税していなくても国は守ってくれるべきだし、「外国人」はどんなにまじめにやっていて納税していても後回しだ、という彼らの主張を聞いていると、ナイーヴにもほどがあるという感じがします。「俺は武士だ」と空威張りしていた江戸時代の浪人が連想されますね。とそのように考える私ではありますが、外国人受け入れに生産年齢人口減少食い止めの効果を期待する人もナイーヴという点では似たようなものだ、ということを指摘せねばなりますまい。単純な計算の問題で、絶対数が全然合わないからです。





産む自由

これは実は意味の薄い目標です。出生率をいくら増やしても、数理的・原理的に、今日本で起きている生産年齢人口減少を食い止めることはできません。にもかかわらず世間がそういう認識になっていないのは、例によってSY(数字を読まない)の蔓延によります。断っておかねばなりませんが私は、出生率はぜひ上げた方がいいし実際に上げられると思っています。もちろん「産む、産まないは個人の自由」ですし、産みたいのに妊娠できずに苦しんでいる方に鞭打つようなことはやめるべきです。でも今の日本には、本当は結婚したい、子供はもっとたくさん欲しいと思っていても、経済的な理由で躊躇してしまう独身者や若夫婦だけでも、とても大勢います。

この人たちの「産む自由」を、もっときちんと保障するだけでも、出生率は今よりは上がります。結婚しない人を結婚させる、産みたいのに子供のできない人を苦労させるのではなく、一人産んだ人が二人目を、二人産んだ人が三人目を安心して産める社会にすることが大事だし効果的です。出生率を上げるには。ところが、いくら出生率をドラスティックに増やしても、出生者数はそう簡単には増えないのです。率と絶対数は違います。率が生まれて働いてモノを買うのではないのですよ。 と申しますのも、出生率は出生者数を増減させる二つの要因の一つにすぎません。もう一つ、出産適齢期の女性の数の増減という絶対的な制約要因があるのです。そしてこれは二〇-四〇年前の出生者数がそのまま遅れて反映されるものであるために、後付けでいじることはできません。

その出産適齢期の女性の数ですが、今後二〇年間で少なくとも三割程度、四〇年間には半数近くまで減少してしまいます。日本の出生者数は、二〇九万人だった七三年を戦後第二のピークに、〇七年には一〇九万人までドがりましたから、出産適齢期を迎える女性の数も年々減少しているのです。ということで、仮に出生率が今のまま変化しないとすれば、二〇年後の出生者数は三割減、四〇年後は半減となります。逆にいまの年間一〇万人程度の出生者数を一〇年後にも維持したければ出生率を二・八にまで、四〇年後にも維持したければ二以上にまで戻さればなりません。

これは、三人兄弟が当たり前の時代に戻るということです。産みたくても産めない人、産まない人もいますので、「産む人は三人くらいは当たり前に産む」ということにならなければ平均は二を超えません。ですが、家が狭く教育費がかかる人都巾圏に若者の過半数を集めてしまった今の日本の国土構造を考えれば、その実現は極めて困難です。つまりただでさえピーク時の半分近くにまで減ってしまった目本の出生者数は、もっとドかって行くということを冷静に計算しておかねばなりません。その結果、日本の生産年齢人目は冷静に見てどのくらいまで減っていくのか? 先にご紹介した国立社会保障・人目問題研究所の予測(中位推計)の線は、最低限覚悟せねばなりません。人口の研究者の多くが「前提が甘い」と言っている数字ですから。つまり今後二〇年間で二割近く、四〇年間では四割の減少が、少なくとも起きてしまうということです。

でも仮に奇跡のV字回復が起き、「日本の出生率が今年から二を超えるところにまで戻って、毎年の出生者数はいつまでも現状のまま推移する」としたらどうなるでしょうか。それでも生産年齢人目減少は止まらないのです。団塊や団塊ジュニアは各年二〇〇万人以上が生まれた世代です。その間の時期に生まれた相対的には数が少ない世代も、各歳一五〇万人以上はいます。彼らが年々六五歳を超えていくのを、毎年一〇万人程度が一五歳を超えていくという程度の新規投人では補いようがありません。つまり、出生率に奇跡の急上昇が起きて出生者数が今以上に減らなくなっても、やっぱり生産年齢人口は急減していくのです。





2013年3月30日土曜日

新聞社は読者の写真を待っている

上手い写真と良い写真、いったいどこが違うのでしょう。それは、写真の持っている言葉の数だと思います。見る人にどのくらい語りかけることができるか、伝えることができるかの違いだと思うのです。自分では良い写真が撮れたと思うんだけど自信がない、説明する適当な言葉が見つからない。それでいいのです。写真は人に見せると勝手に喋り出します。見る人も勝手に解釈します。お褒めの言葉をいただくこともあれば、聞きたくない感想を耳にすることもあるでしょう。遠慮のない批評には腹が立つでしょうが、怒りは我慢する。あらゆる芸術作品は、生まれ落ちた瞬間から一人歩きをするといわれますが、写真も同じです。

人は時に、思わぬ事故に遭遇したり目撃したりします。そのとき、もしカメラを持っていたら? あるいは、めずらしい雲や町なかでお目にかかるはずのない珍獣、間違いなく話題になるような光景を写真に撮ったとき、あなたはどうしますか。こんなときは新聞社に電話をすると、あわててオートバイをすっ飛ばしてくるかもしれませんよ。もし新聞に掲載されれば、あなたの名前のクレジットが載るだけでなく、わずかながら稿料も支払われるはずです。

新聞社には毎日、少ない日でも数件の写真提供の連絡があり、そのうち約半数が紙面に掲載されているそうです。そうした読者からの一報に備え、どの大手新聞社も専門の係が二十四時間体制で待機しています。新聞は読者からの写真を待っているのです。不使用の場合はフィルム代程度、掲載されれば相応の稿料と掲載月の読者写真コンテストの参加資格が与えられ、月間賞に選ばれれば数万円、年間グランプリに輝けば賞金のほかに副賞として高級カメラがもらえます。賞金・副賞あわせて金額にして百五十万円相当といいますから、バカにできません。

そのほか、同じ社の出版物である週刊誌や写真年鑑にも載れば、そのたびに稿料が支払われます。偶然に撮った写真でも、報道写真として優れてさえいれば、それ相応の扱いを受け、名誉も与えられるのです。大手新聞社の中には、写真技術の向上や読者の新聞写真に対する関心を深める目的で、撮影会やコンテストなどに便宜をはかる組織を持つところもあります。特に会員数が多く、アマチュア写真家の間でよく知られているのが、朝日新聞社の全日本写真連盟(全日写連)と毎日新聞社の日本報道写真連盟(日報連)の二つです。入会金は全日写連が五百円、日報連が六百円で、誰でも会員になれます。年会費はどちらも五千円で、毎月、会報が送られてきます。会報には、読者からの投稿写真の講評や、写真コンテストの募集案内や発表、撮影会のお知らせな
どが掲載されています。

また新聞社は、外国で突発事件が起こったときなど、事件に遭遇した旅行者が現場をカメラに納めている可能性もあるので、成田空港の到着ロビーに張りつき、その国から到着した乗客に片っぱしから写真の有無をたずねるということまでしています。一九八九年に中国で天安門事件が起きたとき、毎日新聞は成田空港で二十人くらいの乗客からフィルム提供を受け、紙面を生々しい写真で飾りました。