2013年7月4日木曜日

最近ネット右翼の世界では

ここから先はさらに空想の世界ですが、奇跡の上塗りで「四人兄弟が当たり前になり、現状一一〇万人程度の出生者数が来年から団塊世代並みの二〇〇万人以上に増加した」としましょう。それなら生産年齢人口は減らないのでしょうか。残念ながら来年生まれる子供が一五歳を超えるのは一六年後、成人して就労して税金や年金を払い始めるのは二〇年以上も先のことです。それまでの間は、やっぱり生産年齢人口減少が続き、他方で高齢者は激増します。これにどう対処するのでしょうか。子供を増やすこと、少なくともこれ以上出生率が下がらないように努力すること自体は大事です。でもそれは団塊世代の加齢という目下の一大課題の解決にはまったくなりません。

関係ないことを持ち出すのは、問題から目を背ける人を増やすだけで、事態を放置して悪化させるだけなのです。それなのになぜ出生率ばかりが取り沙汰されるかといえば、物言わぬ若い女性に責任を転嫁できて、男性、特に声の大きい高齢男性は傍観者気分になれるからではないでしょうか。そういう男ばかりだからさらに結婚しない女性が増えてしまっているのかもしれませんよ。「外国人労働者受け入れ」は事態を解決しない。そこで出てくる日本経済の救世主が、「外国人労働者の受け入れ」です。ところがどっこい、これも、どんなにやっても生産年齢人口を実効的なレベルにまで増やす効果は見込めない策なのです。「するべき」「するべきでない」の話ではなく、「やってもやってもまったく数量的な効果が出ない」のです。

海外在住で日本に言及しているエコノミストや経済人はほぼ全員が、国内でも経済を語っている人のとても多くが、この点について基本的な事実認識を誤っています。「べき論」と「事実」を混同して、「やる気になれば成果は出る、問題はやる気がないことだ」と甘~い甘~い精神論に浸っている人が本当に多いですね。それ以上に困るのが、「いくら閉じこもろうとしても、結局日本は外国人労働者に門戸を開放せざるを得なくなり、事態は改善に向かうだろう」という臆測です。彼らは皆、絶対数を読まないSYの典型なのです。「外国人労働者に門戸を開放せざるを得なくなる」のは事実でしょうが、そうしようとも生産年齢人口減少はまったく止まりませんので、事態は改善に向かいません。

しつこくお断りしなければなりませんが、私は日本社会が外国人に対してもっとオープンになることには大賛成です。最近ネット右翼の世界では、日本に多年住んできちんと働いて家族を育ててきた不法入国者を強制送還することに賛成する動きがありますが、経済的に、あるいは社会の道理というようなもので考えても実におかしなことです。低賃金の仕事をまじめに勤め上げ日本生まれの子供も育てている外国人に在留権を与える方が、働けるのに働かない連中(派遣村にいたような実際にきつい労働をやっていた若者ではなくて、親のスネをかじってブラブラしているような人たち)を「お前は日本人だから」と優遇するよりよほどマトモな政策ではないでしょうか。

「日本人」という血統さえあればどんなに不まじめでも、納税していなくても国は守ってくれるべきだし、「外国人」はどんなにまじめにやっていて納税していても後回しだ、という彼らの主張を聞いていると、ナイーヴにもほどがあるという感じがします。「俺は武士だ」と空威張りしていた江戸時代の浪人が連想されますね。とそのように考える私ではありますが、外国人受け入れに生産年齢人口減少食い止めの効果を期待する人もナイーヴという点では似たようなものだ、ということを指摘せねばなりますまい。単純な計算の問題で、絶対数が全然合わないからです。





産む自由

これは実は意味の薄い目標です。出生率をいくら増やしても、数理的・原理的に、今日本で起きている生産年齢人口減少を食い止めることはできません。にもかかわらず世間がそういう認識になっていないのは、例によってSY(数字を読まない)の蔓延によります。断っておかねばなりませんが私は、出生率はぜひ上げた方がいいし実際に上げられると思っています。もちろん「産む、産まないは個人の自由」ですし、産みたいのに妊娠できずに苦しんでいる方に鞭打つようなことはやめるべきです。でも今の日本には、本当は結婚したい、子供はもっとたくさん欲しいと思っていても、経済的な理由で躊躇してしまう独身者や若夫婦だけでも、とても大勢います。

この人たちの「産む自由」を、もっときちんと保障するだけでも、出生率は今よりは上がります。結婚しない人を結婚させる、産みたいのに子供のできない人を苦労させるのではなく、一人産んだ人が二人目を、二人産んだ人が三人目を安心して産める社会にすることが大事だし効果的です。出生率を上げるには。ところが、いくら出生率をドラスティックに増やしても、出生者数はそう簡単には増えないのです。率と絶対数は違います。率が生まれて働いてモノを買うのではないのですよ。 と申しますのも、出生率は出生者数を増減させる二つの要因の一つにすぎません。もう一つ、出産適齢期の女性の数の増減という絶対的な制約要因があるのです。そしてこれは二〇-四〇年前の出生者数がそのまま遅れて反映されるものであるために、後付けでいじることはできません。

その出産適齢期の女性の数ですが、今後二〇年間で少なくとも三割程度、四〇年間には半数近くまで減少してしまいます。日本の出生者数は、二〇九万人だった七三年を戦後第二のピークに、〇七年には一〇九万人までドがりましたから、出産適齢期を迎える女性の数も年々減少しているのです。ということで、仮に出生率が今のまま変化しないとすれば、二〇年後の出生者数は三割減、四〇年後は半減となります。逆にいまの年間一〇万人程度の出生者数を一〇年後にも維持したければ出生率を二・八にまで、四〇年後にも維持したければ二以上にまで戻さればなりません。

これは、三人兄弟が当たり前の時代に戻るということです。産みたくても産めない人、産まない人もいますので、「産む人は三人くらいは当たり前に産む」ということにならなければ平均は二を超えません。ですが、家が狭く教育費がかかる人都巾圏に若者の過半数を集めてしまった今の日本の国土構造を考えれば、その実現は極めて困難です。つまりただでさえピーク時の半分近くにまで減ってしまった目本の出生者数は、もっとドかって行くということを冷静に計算しておかねばなりません。その結果、日本の生産年齢人目は冷静に見てどのくらいまで減っていくのか? 先にご紹介した国立社会保障・人目問題研究所の予測(中位推計)の線は、最低限覚悟せねばなりません。人口の研究者の多くが「前提が甘い」と言っている数字ですから。つまり今後二〇年間で二割近く、四〇年間では四割の減少が、少なくとも起きてしまうということです。

でも仮に奇跡のV字回復が起き、「日本の出生率が今年から二を超えるところにまで戻って、毎年の出生者数はいつまでも現状のまま推移する」としたらどうなるでしょうか。それでも生産年齢人目減少は止まらないのです。団塊や団塊ジュニアは各年二〇〇万人以上が生まれた世代です。その間の時期に生まれた相対的には数が少ない世代も、各歳一五〇万人以上はいます。彼らが年々六五歳を超えていくのを、毎年一〇万人程度が一五歳を超えていくという程度の新規投人では補いようがありません。つまり、出生率に奇跡の急上昇が起きて出生者数が今以上に減らなくなっても、やっぱり生産年齢人口は急減していくのです。