2013年7月4日木曜日

産む自由

これは実は意味の薄い目標です。出生率をいくら増やしても、数理的・原理的に、今日本で起きている生産年齢人口減少を食い止めることはできません。にもかかわらず世間がそういう認識になっていないのは、例によってSY(数字を読まない)の蔓延によります。断っておかねばなりませんが私は、出生率はぜひ上げた方がいいし実際に上げられると思っています。もちろん「産む、産まないは個人の自由」ですし、産みたいのに妊娠できずに苦しんでいる方に鞭打つようなことはやめるべきです。でも今の日本には、本当は結婚したい、子供はもっとたくさん欲しいと思っていても、経済的な理由で躊躇してしまう独身者や若夫婦だけでも、とても大勢います。

この人たちの「産む自由」を、もっときちんと保障するだけでも、出生率は今よりは上がります。結婚しない人を結婚させる、産みたいのに子供のできない人を苦労させるのではなく、一人産んだ人が二人目を、二人産んだ人が三人目を安心して産める社会にすることが大事だし効果的です。出生率を上げるには。ところが、いくら出生率をドラスティックに増やしても、出生者数はそう簡単には増えないのです。率と絶対数は違います。率が生まれて働いてモノを買うのではないのですよ。 と申しますのも、出生率は出生者数を増減させる二つの要因の一つにすぎません。もう一つ、出産適齢期の女性の数の増減という絶対的な制約要因があるのです。そしてこれは二〇-四〇年前の出生者数がそのまま遅れて反映されるものであるために、後付けでいじることはできません。

その出産適齢期の女性の数ですが、今後二〇年間で少なくとも三割程度、四〇年間には半数近くまで減少してしまいます。日本の出生者数は、二〇九万人だった七三年を戦後第二のピークに、〇七年には一〇九万人までドがりましたから、出産適齢期を迎える女性の数も年々減少しているのです。ということで、仮に出生率が今のまま変化しないとすれば、二〇年後の出生者数は三割減、四〇年後は半減となります。逆にいまの年間一〇万人程度の出生者数を一〇年後にも維持したければ出生率を二・八にまで、四〇年後にも維持したければ二以上にまで戻さればなりません。

これは、三人兄弟が当たり前の時代に戻るということです。産みたくても産めない人、産まない人もいますので、「産む人は三人くらいは当たり前に産む」ということにならなければ平均は二を超えません。ですが、家が狭く教育費がかかる人都巾圏に若者の過半数を集めてしまった今の日本の国土構造を考えれば、その実現は極めて困難です。つまりただでさえピーク時の半分近くにまで減ってしまった目本の出生者数は、もっとドかって行くということを冷静に計算しておかねばなりません。その結果、日本の生産年齢人目は冷静に見てどのくらいまで減っていくのか? 先にご紹介した国立社会保障・人目問題研究所の予測(中位推計)の線は、最低限覚悟せねばなりません。人口の研究者の多くが「前提が甘い」と言っている数字ですから。つまり今後二〇年間で二割近く、四〇年間では四割の減少が、少なくとも起きてしまうということです。

でも仮に奇跡のV字回復が起き、「日本の出生率が今年から二を超えるところにまで戻って、毎年の出生者数はいつまでも現状のまま推移する」としたらどうなるでしょうか。それでも生産年齢人目減少は止まらないのです。団塊や団塊ジュニアは各年二〇〇万人以上が生まれた世代です。その間の時期に生まれた相対的には数が少ない世代も、各歳一五〇万人以上はいます。彼らが年々六五歳を超えていくのを、毎年一〇万人程度が一五歳を超えていくという程度の新規投人では補いようがありません。つまり、出生率に奇跡の急上昇が起きて出生者数が今以上に減らなくなっても、やっぱり生産年齢人口は急減していくのです。