2012年5月16日水曜日

経営者や管理職が従業員一人一人の生活を考えているわけではない

現在は就職状況が悪いので、募集すると人が必ず来る。入社段階で選別しておいて、入社後も辞めるやつはすぐ辞めていい、というような態度が見えます。買い手市場だから、企業は思いっきり付け上がっています。「代わりはなんぼでもいる」というふうに。

経営者や管理職が従業員一人一人の生活のことまで考えているわけではないし、利益のためや自らの保身のためなら、一緒に働いた人のクビを切るのも、平気です。それでもわずかにのこされていた歯止めの部分も今では壊れてしまった。企業は利益の追求のために突っ走る。

それに対して、政治や社会全体が、やり過ぎだと止めに入ってこそ、バランスが取れる。そうでないと、その企業はとりあえず儲かるかもしれないけれど、社会のコストが大きくなって、社会全体としては大きなマイナスになる。

アメリカン・スタンダードは、そのむき出しこそ尊いという。ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)は殺してよいということと同じです。馬鹿馬鹿しいというか、まるで獣みたいな発想に、日本社会は何も考えずに乗ってしまった。

それは民族性がどうこうという問題ではなく、資本主義はほうっておくとそうなります。システムの暴走を何とか止めるのが、人間らしい知性というものだと、私は思うのですが。今の日本も日本の企業も変わらなければなりません。

同時に、働く人一人一人も意識を変えなければならないということです。そして、人間の自由や尊厳ということを重視するな会社に勤めるという選択肢も検討してみるべきではないかと思うのです。

サラリーマンは経営者からなめられている

富士通といえば、山本卓億・富士通名誉会長が、現在の状態でもなお、日本のホワイトカラーの生産性は低すぎる、もっと働かせられるように法改正を日本経団連として求めていく、すでにその工作に着手している、というコメントをしたことがありました(「週刊朝日」二〇〇三年七月四日号)。シリコンバレーでは徹夜が当たり前でみんなオフィスの床に寝て納期を守っている、日本もそうすべきだし残業料なんか払う必要はない、という主張です。

過労死や自殺がバタバタ出ているのに、サラリーマンはそこまでなめられているわけです。山本名誉会長は一九八一年から九〇年まで富士通の社長を務めた有名な経営者ですが、あの時代の、環境に恵まれていたからこその成功だったと、どうして謙虚になれないのでしょうか。

自分の恵まれていた条件を棚に上げ、人様には平気で無茶を言える神経を、私は理解できません。むき出しの企業論理に歯止めをかけられないものでしょうか。