2015年7月3日金曜日

無差別テロで倒れた市民

国葬が行われる聖パウロ寺院まで、国旗におおわれた棺を乗せて運んだのは軍用トラックである。二棺づつ乗せてゆっくりと進むトラックは、一台ごとにその両脇に一騎づつ、華やかな甲冑姿の騎馬憲兵が護衛して進む。近衛兵としてもよい正装の騎馬憲兵の護衛は、国賓のみが受ける待遇だ。沿道でも騎兵の列がつづき、寺院に到着した棺は、ささげつつと敬礼をする兵士の列に迎えられた。イラクで倒れた男たちは、第一級の軍隊礼を受けたのである。これは、危険も知らずに行った地で巻きぞえを喰った「犠牲者」への待遇ではない。危険も覚悟のうえでの職務遂行中に倒れた、「戦死者」への待遇である。だがこれが日本に伝わると、「犠牲者」になってしまうのだった。

朝鮮戦争の頃からだから、平和の確立や維持が目的の海外派兵には、イタリアはすでに五十年の実績をもつ。死者は、五十年という歳月を考えれば驚異的とするしかないほどに少ない。だからイタリア人は、戦死者を迎えるのに慣れているわけではなかった。それでも、いざ死者が出たとなると「戦死者」と呼んで誰もが不思議に感じないのは、海外派兵そのものには慣れているからだろうか。反対に日本では、記者たちの頭の中でも少しの抵抗もなく、「戦死者」というイタリア語が「犠牲者」という日本語に変わってしまうのは、日本がこの五十年間、そのような行為に無縁で過ごしてきたからであろうか。

私にはなんとなく、「犠牲者」と呼んだのはマスコミだけではなく、首相や官房長官の口からも出だのではないかという気さえしている。せめて防衛庁長官ぐらいは、「戦死者」と呼んでくれたであろうか。だが、もしも日本中が「犠牲者」オンリーだったとすれば、それは日本では、言ったり書いたりする側もなに気なく「犠牲者」という言葉を使い、それを聴いたり読んだりする側も、なに気なく聴き流しているからにちがいない。

しかし、その日本も海外派兵の体験をはじめようとしている。仮りに不幸にも自衛隊員に死者が出たとしたら、そのときでも日本人は、「犠牲者」と呼び書くのであろうか。イラクに派遣する自衛隊員は戦争をするために行くのではないから、たとえ倒れても「戦死者」とは言えないとでもいう理由で。イタリア兵だって、イラクには英米による戦闘が終了した後に行ったのである。職業には貴賤はないと信ずる私だが、職務の果し方には貴賤の別は厳としてある、とは思っている。ということは、私もその一人であるシビリアンには各人各様の誇りがあるのと同じで、ミリタリーにも彼らなりの誇りがあるのは当然だ。巻きぞえを喰った結果である死ではなく、覚悟のうえの死、とでもいうふうな。

その軍人が戦地で倒れた場合、その彼らを、無差別テロで倒れた市民と同じように「犠牲者」と呼ぶのは、この人々に対して礼を失することではないだろうか。軍人ならば、「戦死者」と呼んでこそ、彼らの誇りを尊重することになるのではないか。日本に帰国中に読んだ新聞の記事に、自衛隊員は政治の駒か、と題したものがあった。私だったらこれに、次のように答える。そう、軍隊は国際政治の駒なのです、そして、駒になりきることこそが、軍隊の健全さを保つうえでの正道なのです、と。それゆえに、軍務に就いている人の誇りを尊重する想いと、その軍務は国際政治の駒であるとする考えとは、少しの矛盾もないと思っている。