2013年8月28日水曜日

観光客一〇〇〇万人構想に欠けている準備

九・一一テロが起きた直後、沖縄の観光客はものすごい勢いで落ちこんだ。「沖縄は米軍基地があるから危ない」という風評が一気に広がったのだ。ビジネスホテルを経営していた私の知人などは、「これだからナイチャーは信用ならん。いつも犠牲になるのは沖縄じゃないか」と怒りっぱなしだった。もっとも観光客が落ち込んだのもわずか半年ほどで、翌〇二年は前年より四三万人多い四八三万とV字回復を遂げる。そうなると現金なもので、ホテルが満室になるたびに、「やっぱり沖縄は不滅だわ」と、連日ほくほく顔に変わった。

理由は、海外でSARSやテロが横行し、「危険な海外より安全な国内」という流れができたからだ。考えてみれば、これも「海外は危険」という逆風評被害の結果だ。しかし、こうなると日本人は放っておいても洪水のように集まってくる。こうした流れを受け、〇六年一一月に当選した仲井佻弘多知事は「観光客一〇〇〇万人誘致」を選挙公約にかかげた。実際、知事就任時には五六四万人だったのが、翌年には過去最高の五八七万人と、六〇〇万人まであと一歩と迫っている。しかし、これがほんとうに沖縄のためになるのか、観光立県のあり方として正しいのかというと、首をかしげたくなってしまう。

「観光客一〇〇〇万人誘致」に対して、批判は当初からあった。ひとつは水問題である。一〇〇〇万人といえば、今の観光客のほぼ倍の人数が訪れる。まず考えられるのは、ほんとうに今の水瓶で水が足りるのだろうかということだ。沖縄県では、北部の塩屋湾の奥地に建設している大保ダムが完成すれば、観光客が一〇〇〇万人やってきても大丈夫と太鼓判を捺すが、果たしてそううまくいくだろうか。〇八年は珍しく沖縄に台風が上陸しなかった。観光客は喜んだようだが、沖縄にとって台風は、被害をもたらすと同時に、生命の源である水を運んでくれる大切な存在なのだ。ところが、温暖化現象の影響か、このところ台風のコースが沖縄を外れるケースが増えている。沖縄に台風がやってこなければ、水不足は途端に深刻になる。

水不足でよくニュースになるのが慶良間諸島である。私の知人に、渡嘉敷島で山村留学をはじめようという坂田竜二、明子夫妻がいる。〇八年の夏、彼らに会いに行ったとき、渡嘉敷島をざっと案内していただいたのだが、山裾を登っていく道路から見下ろす水瓶が底を見せていた。台風が来なかったせいである。夜間断水の給水制限がなされたと聞いたのはその翌日だった。那覇の町を見渡すと、古い家の屋上に給水タンクが据えられているのを目にするが、これは過去にしばしば水不足に悩まされたことが、今も骨身にしみているからだろう。何しろ、八一年から八二年にかけてほぼ一年近く給水制限が続いたほどで、私の記憶でも、九〇年代の初め頃までしょっちゅう断水していた記憶がある。

水が足りないならダムをつくればいいじゃないかと思われるかもしれないが、大量生産、大量消費、大量廃棄というワンウェイ社会から生まれたこの発想がいつまでも続くとは思えない。かつて北部のやんばるに次々とダムがつくられ、いまや沖縄はダム密度全国一である。貴重な自然を破壊するダムは、観光で生きる沖縄には諸刃の刃になる。それに、もうやんばるにはダムをつくる土地は残されていないのである。それよりも、昔はどの家庭も雨水を貯めて活用していたように、各家庭に雨水タンクを設置したり、あるいはビルやホテルなど巨大建造物の地下に貯水槽を設置して雨水を利用することも考えるべきだろう。東京が世界でも有数の雨水貯留都市になったのは、大口径の水道料金を一般家庭の四倍にしたため、雨水を雑用水として利用する方が安あがりと、一気に普及したからだ。

森に降った雨も、都市に降った雨も、同じ水なのである。観光客の増加は道路の渋滞にもつながる。沖縄では公共交通機関かきわめて少ない。バスもあるが、モノレールとの連結や他社路線への乗り換えがスムーズでないから、きわめて使い勝手が悪い。先にも述べたように、乗り換えが数回あると、とんでもない時間を食ってしまう。ということで、沖縄ではほぽ一人に一台の自家用車がある。現在、通勤や帰宅時間に那覇を通過しようとすると、かなり時間を食うことになる。最近もレンタカーを返そうと浦添市を夕方の五時に出たが、空港支店に着いたのが六時過ぎだった。混んでいなければ一五分ほどで行ける距離だ。一〇年前は渋滞するといっても朝と夕方だけで、それもそんなにひどくはなかったのに、現在の那覇は終日混んでいるのである。