2016年2月3日水曜日

インドネシア・軍政一致の開発体制

家族・同族による閉鎖的経営支配という「前近代的」体質をいまだ払拭してはいないものの、わずか二十数年にして巨大な富を築き上げた財閥の実力と旺盛な経営活動は、たしかにタイ経済近代化の主役というにふさわしい。民族系企業の力量は、華僑・華人系のそれに比べればいまだ弱いとはいえ、セメント、鉄鋼、機械、紙・パルプ、タイヤ、貿易部門に、主力企業のみで二一社をもつサイアムーセメント・グループは、タイの基幹産業の中核に位置する民族資本である。

経済サクディナー制のもと、官僚の庇護をふんだんに享受してきたタイ企業も、その経営規模を拡大し、業種を多様化するにいたった現在、旧来の官僚支配を次第に栓格と感じるようになっており、経営の自律化を求めてそこからの脱却を図っている。官僚もまた、巨大化した企業グループをサクディナー制的な対応で御していくことはもはや有効ではないことを認識している。

国家的規模での開発計画を策定し、これに企業家の積極的な協力と参画をうながしながらより組織的な官主導型の発展をつづけるという、体系的な両者関係が形成されつつある。その意味で、タイはサクディナー制的官僚体制から職能的テクノクラート体制へと転換をとげようとしている。この転換の成功いかんに、タイがNIES型国家たりうるか否かの鍵が潜んでいるようにみえる。

オランダの植民地支配からの独立を指導したのは、スカルノである。彼が大統領の地位にあった時代のインドネシアは、政治的には揺れの激しい混乱期にあり、経済的には恒常的な財政赤字と高インフレの低迷期にあった。独立直後には数多くの政党が生まれ、彼らが相互に競い合う複数政党制の時代を経験した。

しかし、その後の政治的混乱の収束期を経て、政党政治の影は急速に薄くなり。スカルノの「指導された民主主義」の時代に入っていった。この時代のインドネシア政治は、スカルノという傑出した民族運動指導者である大統領、民族独立闘争の直接のにない手であった軍部、さらに当時東南アジアで最大規模を誇ったインドネシア共産党(PKI)、この三者のバランスの上に成立するという微妙な構造をもって、その特徴としていた。