日本の国是は明治以来、中央集権の強化である。それが100年以上続いた今、地方には、人材も独自文化も進取の気性も、ほとんど残っていない。地方に受け皿がないのだから、地方分権はもともと「地方切り捨て策」である。しかし、そこに「官僚解体」という隠れた目的が加わったことで、地方分権の主張は一気に活気づいた。舛添が、地方分権の先駆例となる「大阪独立」を「秘策」と呼んだのは、誇張ではなかった。県知事の中には官僚出身者も多く、彼らの多くは地方分権構想をスローガンだけの表層的な内容に薄めようとしたドそれに対し、中央政界からは、選挙のたびごとに橋下や東国原といった数少ない、人気のある独立系の知事を大騒ぎして盛り立てる動きが出て、地方の人々が地方分権に目覚めるのを誘導している。
鳩山の民主党は、この手の人々を奮起させる誘導策を、すでに沖縄で「普天間基地問題」としてやって、成功している。民主党は、野党時代から「沖縄ビジョン」で普天開基地の県外・国外移転を求め、政権に就いた後は、県外・国外移転を基調政策としつつ鳩山が「沖縄の民意を重視する」と言って沖縄県民を扇動した。鳩山が官僚とマスコミによる敵対策の中で動けなくなり、指導力が落ちた今では、沖縄のほとんどの人々が「普天間基地を県外(国外)に移転するまで戦う」という意志を持つに至った。
普天間基地問題が喧伝される中で、日本人は全国的に「地元に米軍基地が来たら大変なことになる」「そもそも日本に米軍基地が必要なのか」と考え始めた。普天間基地の移設先として名指しされた鹿児島県の徳之島では、大半の島民が移設に反対し、猛烈な反対運動を始めた。普天間基地がある限り、沖縄県民は基地追い出しの運動を続けるだろうし、本土にどんな移設先候補が出てきても、地元の人々が反対する事態となった。硫黄島など無人島への移設には米軍が反対する。最後には、米軍基地に日本から出ていってもらうしかない。米軍は、とっくに出ていく気になっている。日本には立派な自衛隊がある。もともと米軍の駐留は必要ない。
ここで当然「与党や首相には権力がある。民主党が米軍に出ていってほしいのなら、米国にそう言えばよい。沖縄県民の反基地運動の誘発などという回りくどい方法は必要ないはず」という疑問が出る。しかし実態は、そんなに理想的ではない。たとえば2009年秋以来、日本の外務省が軍事などに関する過去の日米密約の文書を破棄し、政治家や国民に知らせないようにしてきたことが民主党政権によって暴露されている。軍事だけでなく、1970年代にドル支援のために日銀が巨額資金を米連銀に無利子で半永久的に貸し出していた件も、日本側は文書を破棄していた。つまり官僚は、首相や議員に大事なことを教えないようにしてきた。首相や大臣は、マスコミや世論に非難されぬよう、うまくやる必要があるが、そのための情報や外交ルートなどは、すべて官僚が握っている。官僚は政治家が丸裸だと知りつつ、何でもお申し付けくださいといんぎんに言う。
同様の事態は米国でもある。オパマはアフガニスタンから撤退したいが、策略を持った側近に隠然と阻まれている。軍産英複合体が作った米国の英米中心主義の体制を壊すため、米中枢の多極主義者は、軍産複合体の一員のようなふりをして権限を握り、イラク戦争やイスラム過激派扇動などを過剰にやって失敗させるという、手の込んだ策略を展開した。オバマの顧問であるブレジンスキーは「世界的に人々が政治覚醒する時代が来た」と言ったが、これは彼自身を含む多極主義者が、世界的に人々の反米感情や独立精神を扇動し、世界を多極化する戦略である。普天間や地方分権の問題で、日本の民主党などがとっている戦略は、ブレジンスキーのものとよく似ている。
2014年4月17日木曜日
2013年12月25日水曜日
教師による学生の評価
アメリカの大学では、教授は学生の成績を評価するが、学生も教授の授業を評価する。大学の管理職(学長、学部長など)は教員の研究、教育上の業績に基づいて、教授の待遇を決定する権限をもっているが、管理職も一定期間のあと教授団によって評価されるし、教授は自己の待遇について交渉する権利をもつ。学長は大学の管理運営について強大な権限を委ねられてはいるか、その業績は理事会によって絶えず評価されており、理事会はいつでも学長を解雇する権限をもつ。
大学の学部、学科、研究所は一定期間ごとに必ず学内の評価委員会による審査を受け。その活動の生産性が疑われる場合にはおとりつぶしになることもある。基準協会は会員校に自己点検報告を要求し、五年か一〇年おきに実地検査にやってきて、その大学の質を評価するが、その基準協会もまた基準認定団体にふさわしいか否かを上位の連合体である全米高等教育基準認定協議会(COPA)や連邦政府によって審査される。
つまりアメリカの大学は、他のアメリカの組織体と同様に、評価をするものは必ず評価されるという関係にある。このチエックーアンドーバランスの仕掛けは、アメリカ社会の中に、網の目のようにはりめぐらされており、大学もむろんその例外ではないのである。
アメリカの学生は在学中絶えず評価にさらされている。授業に出席すれば、毎回五〇~二〇〇ページにわたる課題図書を予習してきたかどうかを試される。ひんぱんに宿題のレポートを書き、授業でのディスカッションに参加し、自分がよく準備をしてきたことを絶えず教師に示さなければならない。毎週のように小テストがあり、中間評価と最終評価がある。
例えばカリフォルニア大学バークレイ校では、学生が学士号を取得して卒業するためには、自分の履修した全科目について、平均C(A=4、B=3、C=2、D=1、F=O)以上の成績を取らなければならない。平均点がCに満たないと、警告がくる。次の学期に頑張って平均C以上に達しないと、退学か、転校である。州内高校生の成績が上位ニ・五パーセント以上という秀才たちしか入学の機会が与えられないバークレイ校でも、一年生の入学者のうち四〇パーセントはバークレイを卒業できないのである。
教師が学生を評価するという考えは今日あたりまえのこととみなされているが、一八六九年にハーバード大学の学長に就任したチャールズーエリオットは、学外者による試験制度の復活を主張した。彼は「教師が自分のクラスの学生を試験するかぎり、教師に対する有効な評価はなされない」と批判した。つまり教える者が一方的に学生を評価するのでは正当な学生の評価とならないし、また教える者の質を改善することにもならない、という考えである。
大学の学部、学科、研究所は一定期間ごとに必ず学内の評価委員会による審査を受け。その活動の生産性が疑われる場合にはおとりつぶしになることもある。基準協会は会員校に自己点検報告を要求し、五年か一〇年おきに実地検査にやってきて、その大学の質を評価するが、その基準協会もまた基準認定団体にふさわしいか否かを上位の連合体である全米高等教育基準認定協議会(COPA)や連邦政府によって審査される。
つまりアメリカの大学は、他のアメリカの組織体と同様に、評価をするものは必ず評価されるという関係にある。このチエックーアンドーバランスの仕掛けは、アメリカ社会の中に、網の目のようにはりめぐらされており、大学もむろんその例外ではないのである。
アメリカの学生は在学中絶えず評価にさらされている。授業に出席すれば、毎回五〇~二〇〇ページにわたる課題図書を予習してきたかどうかを試される。ひんぱんに宿題のレポートを書き、授業でのディスカッションに参加し、自分がよく準備をしてきたことを絶えず教師に示さなければならない。毎週のように小テストがあり、中間評価と最終評価がある。
例えばカリフォルニア大学バークレイ校では、学生が学士号を取得して卒業するためには、自分の履修した全科目について、平均C(A=4、B=3、C=2、D=1、F=O)以上の成績を取らなければならない。平均点がCに満たないと、警告がくる。次の学期に頑張って平均C以上に達しないと、退学か、転校である。州内高校生の成績が上位ニ・五パーセント以上という秀才たちしか入学の機会が与えられないバークレイ校でも、一年生の入学者のうち四〇パーセントはバークレイを卒業できないのである。
教師が学生を評価するという考えは今日あたりまえのこととみなされているが、一八六九年にハーバード大学の学長に就任したチャールズーエリオットは、学外者による試験制度の復活を主張した。彼は「教師が自分のクラスの学生を試験するかぎり、教師に対する有効な評価はなされない」と批判した。つまり教える者が一方的に学生を評価するのでは正当な学生の評価とならないし、また教える者の質を改善することにもならない、という考えである。
2013年10月29日火曜日
サウジアラビアの市民運動は大きくならない
王族それぞれの考え方に隔たりがあるのはなぜなのでしょうか。サウジアラビアは十八世紀にいまの首都リヤドの近くで部族を率いていたサウード家と、宗教的指導者だったワッハーブ家、一万の一族が団結したところから始まりました。このときにサウード家は政治を、ワッハーブ家は宗教をそれぞれ統轄するという合意がなされました。それから周辺の部族と戦い、和解しながら、二十世紀初頭にいまのサウジアラビア王国となりました。このときに後見人的な役割を果たしたのはイギリスでした。サウジアラビアという国そのものの歴史は意外と浅いのです。サウジアラビアは湾岸最大の面積を持つ国であり、イスラム教の一一人聖地であるメッカとマディーナが国土のなかにあります。そのため、宗教的指導者であるワッハーブ家の権威は強力なものです。サウジアラビアが親米でありながら宗教的に保守的なのは、ワッハーブの保守的な考え方を反映しているからです。
しかし、ワッハーブ家の人々も現代では豊かな石油資源を持つ大国の支配者です。サウジアラビア国内ではお酒を飲んではいけない、女性はクルマの運転をしてはいけないなどの戒律を守って暮らしていますが、実はヨーロッパではハメを外して遊んでいることがよく知られています。二〇一〇年には、ある王子が、イギリスで、酔っぱらったあげくにゲイのパートナーだったと思われる男性を殺してしまうという事件まで起こしています。国内では厳しい教えを国民に押しつける一方で、権力を持っている人たちは国外で自由を楽しんでいることが徐々に知られるようになりました。しかし、ワッハーブ家の権威はサウジアラビアの求心力の一つになっています。国としては厳しい戒律を国民に求めることで、国への帰属意識や忠誠心を高めようとしています。その結果、王族のなかでも考え方の振れ幅が大きくなってしまっているのです。
多くのサウジアラビア国民は経済的にうるおっている現在の暮らしに満足しています。政治には無関心で、宗教的な戒律に窮屈さは感じつつも、消費生活を謳歌する中産階級が主流を占めています。そして、彼らとは別に、先述した少数派のシーア派の人々が貧しい暮らしを強いられているという状態です。二〇一一年三月十一日、日本で東日本大震災が起きてからは、「アラブの春」の動きはあまり報道されなくなりました。もちろん、東日本大震災は世界的に大きなニュースですから優先されて当然ですが、同時に、世界の関心が失われたことで、「アラブの春」の盛り上がりも下火になってしまったということはあると思います。サウジアラビアでも、奇しくも三月十一日に「怒りの日」と名付け九大規模なデモが行われました。このときはフェイスブックを使い、一万人近くの人たちがそのデモに賛同しています。しかし、当局の弾圧もあってすぐに沈静化してしまいました。
サウジアラビアで政府に対して異議を唱えているのは、経済的な格差と宗教的な差別を強いられているシーア派の人々と、政府によるしめつけを嫌う中産階級のリベラルな人々です。しかし、潜在的に不満を持っている人たちはいても、それを声に出したり、行動として示したとたんに、弾圧の対象になってしまいます。サウジアラビアにも人権活動をしている人たちはいます。たとえば、サウジアラビアでは女性が車の運転をすることは禁じられています。しかし、二〇一一年、ユーチューブにサウジアラビアの女性が車を運転している映像がアップされ、大きな話題になりました。運転してた女性はサウジアラビアの警察に逮捕され、十日間拘留されました。しかし、その後も彼女はフェイスブックで予告し、運転をしています。二度目、三度目は罰金刑で済んでいます。少しずつサウジアラビア政府の態度も軟化してきているようです。いまも彼女のアラビア語のフェイスフッターページには二〇〇〇人以上の参加メンバーが登録されています。
私の友人にもサウジアラビアで育った女性がいます。父親はパレスチナ人ですが、裁判官をしていました。ほかにも父親がイラク人で外交官、母親がナースという友だちもいます。インテリ家庭に育った彼女たちもサウジアラビアでの生活には息苦しさを感じると言っていました。パレスチナ人の友人は結婚してから、サウジアラビアを出てアメリカに行きました。サウジアラビアのあまりにも保守的な空気に息苦しさを感じている人はたくさんいると思いますが、サウジアラビアが変わっていく可能性は低いと思います。世界中が産油国であるサウジアラビアの今のままの政治的な安定を求めていますし、国民の生活も一部の人たちをのぞけば経済的にも恵まれています。息苦しくなったらヨーロッパに1ヵ月くらいバカンスに出かけて羽を伸ばすということができる人たちが少なくない。結果的に、いまの体制を容認する人たちが多数派なのです。
しかし、ワッハーブ家の人々も現代では豊かな石油資源を持つ大国の支配者です。サウジアラビア国内ではお酒を飲んではいけない、女性はクルマの運転をしてはいけないなどの戒律を守って暮らしていますが、実はヨーロッパではハメを外して遊んでいることがよく知られています。二〇一〇年には、ある王子が、イギリスで、酔っぱらったあげくにゲイのパートナーだったと思われる男性を殺してしまうという事件まで起こしています。国内では厳しい教えを国民に押しつける一方で、権力を持っている人たちは国外で自由を楽しんでいることが徐々に知られるようになりました。しかし、ワッハーブ家の権威はサウジアラビアの求心力の一つになっています。国としては厳しい戒律を国民に求めることで、国への帰属意識や忠誠心を高めようとしています。その結果、王族のなかでも考え方の振れ幅が大きくなってしまっているのです。
多くのサウジアラビア国民は経済的にうるおっている現在の暮らしに満足しています。政治には無関心で、宗教的な戒律に窮屈さは感じつつも、消費生活を謳歌する中産階級が主流を占めています。そして、彼らとは別に、先述した少数派のシーア派の人々が貧しい暮らしを強いられているという状態です。二〇一一年三月十一日、日本で東日本大震災が起きてからは、「アラブの春」の動きはあまり報道されなくなりました。もちろん、東日本大震災は世界的に大きなニュースですから優先されて当然ですが、同時に、世界の関心が失われたことで、「アラブの春」の盛り上がりも下火になってしまったということはあると思います。サウジアラビアでも、奇しくも三月十一日に「怒りの日」と名付け九大規模なデモが行われました。このときはフェイスブックを使い、一万人近くの人たちがそのデモに賛同しています。しかし、当局の弾圧もあってすぐに沈静化してしまいました。
サウジアラビアで政府に対して異議を唱えているのは、経済的な格差と宗教的な差別を強いられているシーア派の人々と、政府によるしめつけを嫌う中産階級のリベラルな人々です。しかし、潜在的に不満を持っている人たちはいても、それを声に出したり、行動として示したとたんに、弾圧の対象になってしまいます。サウジアラビアにも人権活動をしている人たちはいます。たとえば、サウジアラビアでは女性が車の運転をすることは禁じられています。しかし、二〇一一年、ユーチューブにサウジアラビアの女性が車を運転している映像がアップされ、大きな話題になりました。運転してた女性はサウジアラビアの警察に逮捕され、十日間拘留されました。しかし、その後も彼女はフェイスブックで予告し、運転をしています。二度目、三度目は罰金刑で済んでいます。少しずつサウジアラビア政府の態度も軟化してきているようです。いまも彼女のアラビア語のフェイスフッターページには二〇〇〇人以上の参加メンバーが登録されています。
私の友人にもサウジアラビアで育った女性がいます。父親はパレスチナ人ですが、裁判官をしていました。ほかにも父親がイラク人で外交官、母親がナースという友だちもいます。インテリ家庭に育った彼女たちもサウジアラビアでの生活には息苦しさを感じると言っていました。パレスチナ人の友人は結婚してから、サウジアラビアを出てアメリカに行きました。サウジアラビアのあまりにも保守的な空気に息苦しさを感じている人はたくさんいると思いますが、サウジアラビアが変わっていく可能性は低いと思います。世界中が産油国であるサウジアラビアの今のままの政治的な安定を求めていますし、国民の生活も一部の人たちをのぞけば経済的にも恵まれています。息苦しくなったらヨーロッパに1ヵ月くらいバカンスに出かけて羽を伸ばすということができる人たちが少なくない。結果的に、いまの体制を容認する人たちが多数派なのです。
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